せいいっぱいの「ありがとう」を。
『そっち行くから会えない?』
「もちろん!久しぶりだね!」
転職したことで、育った街から離れてしまったわたし。
それは同時に友人からも離れてしまうことを意味していました。
自分の意思でしたことですし、離れてしまうことはわかっていましたが、やっぱりどこかで寂しさがありました。
みんなの様子は電話で聞けるし、メールのやり取りもあるのですが、会って話ができないのは予想以上に「独り」を感じてしまいます。
いい大人なので、その気になればいつでも会いに行けます。でも、いろいろな事情を言い訳にして結局ずるずるとそのままになってしまっていました。
友達は大事にしないと・・とよく聞きますし、もちろんそう思うのですが、行動が伴わないわけです。もやもや。
仕事が煮詰まってきたりしているときは、前のように集まってわいわいやりたい。でも、こっちにいるのはわたしだけ。もちろん主人はいますが、友達と家族はどこか違うのです。もやもや。
そんな時、こっちに来ると電話をもらいました。その日中、顔がにやけっぱなしになるくらい嬉しかったです。会いたいと思ってもらえることが、こんなに嬉しいことなんだなって。改めて噛み締めてしまいました。
会いに来てくれてありがとう。今度はわたしが会いに行くからね。待っててね。
まさに「有朋自遠方来 不亦楽」です。
ふたりのお財布。
お財布の中にお金が入っていない・・。
「まさか」と「またか」が入り混じる気持ちで、もう一つのお財布を取り出してお支払いしました。
なので、お互いにお給料が入ったら決まった額を入れておくのがルール。
食費や日用品などの生活に必要なものは、そのお財布から出します。
かたや、平日のお昼代や趣味のものなどは、個人のお財布から出します。
ただ、そこが気分によるグレーゾーンであるのは間違いなくて、わが家の家計に雑費を生む原因にもなっているわけですが。。
確かに二人で生活しているわけですし、そこまで必要?と思うことがあるのですが、
お小遣いとか貯金とかいくらまでOKなの?家計に影響あるの?
そこを明確にしたいという思いがあったりもします。
主様帰ってきたら、お金補充しておくように言わないと。
モノクロームの世界
世の中はいろんな情報にあふれていて、それをさばききれない自分がいます。
本当はどうなんだっけ?そのものの本質ってなんだっけ?
そんな時は、なるべく単純に考えるようにしています。
何を軸に考える必要があるのか。
本質と進める手順を誤らければ、大体何とかなるものです。
きっと。ね。